陽光と月色の交わる大海の果てに阿我の地はあった。
前史、此の地では永く十数余の部族で争いが繰り返されたが、
我族の長アザグは、三龍神との盟約により万象理法を授かり争乱を平定。
遂に初代覇王となり国を「阿我」と名付けた。
阿我暦218年、
12代王の死によって長皇子と次皇子の間で王位継承をめぐる争いが勃発。
戦火は瞬く間に阿我全土に広がり、国を二分する戦乱となった。
国を荒廃させた戦乱は、遂に阿我の中原、寂山での決戦に至り、
その時アザクが三龍神との盟約によって建立し守護してきた龍玉の杜は蹂躙された。
三龍神は怒り、寂山の噴火とともに激しい雷雲と豪雨で阿我の地を閉ざしてしまった。
わずかに阿我の地から逃れた人々は、
本土の周囲にある幾つかの小洲に辿り着き、龍神の怒りが治まることを祈ったが、
業火と暗雲が消えることはなく、数百年余の時が流れた。
阿我暦827年、
三龍神の怒りが解け『阿我』の地が600年ぶりに姿を現わした。
古代覇王アザリの末裔が治めるアグマ国とエザリ国は、
一騎当千の武の造人『陀羅鬼』を召喚し
ふたたび阿我の大地に対峙した。
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